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となりの高村さん

 旧安田楠雄邸の隣に住む髙村さんは、彫刻・詩・鋳金・写真などの分野で活躍した三代にわたる芸術一家です。その創作の場であった千駄木には、今も地域のなかで様々なエピソードが語り継がれています。
 いわゆる作品展とは違う、地域の人たちに親しまれた髙村家の人々にスポットを当てた展覧会を開催します。

 
・・・ということで、旧安田楠雄邸の裏口にあたります西側の道路です。右側の古い瓦屋根が安田楠雄邸。左側の家が、いわゆる"髙村さん"、「高村 光雲・豊周 遺宅」です。

髙村光雲遺宅

 
東側のかつては「銀行通り」とも呼ばれていた「保健所通り」。その保健所通りに面した安田楠雄邸に対し、髙村邸は保健所通り側まで土地を持ちませんでした。なので、髙村さんのお宅は見えません。
この保健所通り沿いに、「宮本百合子ゆかりの地」や「高村光太郎旧居跡」があります。(空襲で建物は残っていません)
保健所通り
 
■ 東京文化財ウィーク2009参加 『となりの高村さん』展
PDF >> http://www.toshima.ne.jp/~tatemono/takamuratentirashi090825.pdfたてもの応援団
開催期間: 2009年 10/31(土) ~ 11/08(日)
開催時間: 10:30 - 16:00(入場は 15:00迄)
料金: 一般 ¥1,000円/中高生 ¥500
場所: 旧安田楠雄邸
住所: 文京区千駄木 5-20-18
 


 こちらは旧跡案内のプレートがあるのみで、当時の面影を偲ばせるものは「跡形」も残っていません。
高村光太郎旧居跡


高村光太郎旧居跡

 彫刻家であり、詩人・歌人でもあった高村光太郎(1833〜1956)は、彫刻家高村光雲の長男として台東区下谷に生まれ、10歳の時にここからすぐ近く(現・千駄木 5-20-6)に移り、そこで育った。
 東京美術学校(現・東京芸大)彫刻家を卒業して欧米に留学、ロダンに傾倒する。詩人としては在学中「新詩社」に加わり、「明星」にに寄稿し、「パンの会」にも参加した。
 明治 45年(1912)に住居を父の家からこの地に移し、自分で設計した木造(外観は黒塗り)の風変わりなアトリエが完成した。以後、ここで数多くの彫刻、詩などの作品が生まれた。大正 3年(1914)長沼智恵子と結婚、昭和 13年(1938)死別後はひとりで暮らした。
 昭和 20年(1945)4月の戦災で住居は焼失し、岩手県花巻に疎開した。昭和 27年(1952)中野区桃園町の中西利雄のアトリエに仮寓。昭和 31年(1956)4月、73歳で没した。墓地は豊島区駒込の染井霊園。
 平成 7年 3月     文京区教育委員会

□ 所在地: 千駄木 5-22-8


旧平櫛田中邸


 彫刻家、平櫛田中(1872〜1979)の旧アトリエ兼住居です。
大正 9〜11年(1920〜22)? に横山大観、前田青邨、木村武山らの出資で建てられた伝統的木造建築だそうです。
 昭和 48年(1973)、氏の出身地である岡山県井原市に寄贈されて以来公開されず、近年は空き家となっており、地元の有志の方々が保存に努めています。時々、企画などで邸内が公開されることがあります。


参考リンク:
■ 言の問い(サスティナブル・アートプロジェクト 2004)
http://www.geidai.ac.jp/event/sustain/kotonotoi/
■ 言の伝え(サスティナブル・アートプロジェクト 2005)
http://www.geidai.ac.jp/event/sustain/


* 公開はされていません。
光雲遺宅


高村光雲(こううん)・豊周(とよちか)遺宅

 高村光雲(1852〜1934)は、浅草の生まれで、旧姓中島。仏師高村東雲の門で木彫を学び、師に認められてその姓を継いだ。
 明治 23年(1890)東京美術学校(現芸大)の創設と同時に教授、帝室技芸員となり、以後 30余年にわたり、多くの後進を指導した。明治木彫会の中心として、伝統的木彫の正統を伝えた。代表作に「老猿」「西郷隆盛像」や「楠公像」などがある。
 明治 25年(1892)に下谷からこの地に移り、昭和 9年に歿するまで、42年間住んだ。
 詩人・彫刻家の高村光太郎(1833〜1956)は、光雲の長男で、大正 3年(1914)長沼智恵子と結婚と同時に、ここから近くの千駄木 5-22-8へ転居した。
 鋳金家の高村豊周(1890〜1972)は、光雲の三男で、家督を継いだ。昭和8年(1933)東京美術学校(現芸大)教授となり、鋳金家協会をつくりその会長となった。「藤村詩碑」や「鼎(かなえ)による花入れ」などの作品があり、日本芸術院会員や「人間国宝」に推された。また昭和 39年(1964)新年御歌会始に召人となった。光雲の遺宅跡に、昭和 33年(1958)に住宅を新築し、昭和 47年(1972)に歿した。

 昭和 62年 3月     文京区教育委員会

所在地: 千駄木 5-20-6


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