谷根千ウロウロでタグ「彫像」が付けられているもの
東京大学正門から工学部のある北へ向かう途中、普段は薄暗く侘びしい場所に、「

古市 公威 (1854 - 1934)
安政元年(1854)、姫路藩士の子として江戸に生まれる。 明治 8年(1875)、東京開成学校から文部省最初の留学生として渡欧、1876年にパリの名門工学校エコール・サントラルに入学し、土木工学を軸に工学全般を修める。明治 13年(1880)に帰国後、内務技師として、河川改修、築港などのプロジェクトに関わりながら、東京大学理学部講師を兼任。明治 19年(1886)、帝国大學創立と同時に初代工科大学長に就任し、日本近代の工学教育の礎を築いた。1888年には日本初の工学博士号を授与される。明治 31年(1898)に退官するが、技術者としても初代内務土木技監、初代土木学会長など要職を務め、新生明治日本の近代化に欠かせない役割を果たした。 昭和 9年(1934)没。
東京大学の数少ない桜が植えられ、春の時期だけ、陽当たりの悪いこの場所が、少し華やかになります。この像に惹かれてしまうのは、薄暗い場所もさることながら、古市センセイの表情がとても憂いに満ちているのです。

路地裏にある住宅のベランダを見上げれば、僅かな日差しを求めて、肌を小麦色に焼く少女たち。

これが本物の女性だったら私は犯罪者ですねえ。い、いえ、いえ!や、やましい気持ちなんて、こ、これっぽっちも...
東大といえば現在に至るまで、第 3代総長浜尾新の意向によって造られた「銀杏並木」が代名詞になっています。桜というと安田講堂の両脇に植えられたしだれ桜をはじめ、工学部 5号館の前など構内のに所々に見られますが、「桜並木」というと龍岡門から東大病院に沿って延びるバス通りの片側、本部棟〜御殿下グラウンドまでの数百メートルしかありません。

これは東京大学、と言うよりも向かいにあります附属病院の"意志"に近いのではないでしょうか。通院や入院している患者への気遣いのような気がします。
桜の一番見晴らしがいい場所には、日本に永く留まり、日本医学の発展に多大な影響を与えた、ベルツ&スクリバ像が設置されています。

理学部 1号館、4号館と安田講堂の間に 2006年 12月に設置された「山川健次郎」像です。

第 6代および第 9代総長であり、後に男爵にもなった山川健次郎は会津出身で、少年時代に白虎隊にいたこともある"サムライ"でありました。

ご親族か関係者が書かれたのでしょうか...、下記で引用しています、像に掲げられた解説板で敬語が使われているのが特徴的でした。
山川健次郎(1854〜1931)
会津若松の山川重固の三男として出生。斗南藩学で英学、米国エール大学で土木工学を学ばれた。帰国後、明治 9年(1876)に東京開成学校の物理学教授補を務められ、同 14年(1881)に東京帝国大学総長を務められた。大正 12年(1923)に再任。
また、九州帝国大学及び京都帝国大学でも総長を務められ、大正 4年(1915)には男爵となった。本胸像は、山川健次郎氏の曾孫あたられる福田宏明氏宅に設置されていたものが、理学系研究科に寄贈されました。
チャールズ・ウェストの帽子
私ネェ、「チャールズ・ウェスト」言イマス。アイルランドカラ機械工学教エニ来マシタ。工学部 1号館前の広場にジョサイア・コンドル君ト年中立ッテマース。季節ハ巡リ幾歳月。今年モネマタ秋ニナッテ夜ナンカは結構冷エ込ンデキマシタヨ...。コレデモネ背ガネ、3メートル近クアルンデスヨ。高イデショ〜?トコロガ、デス!!
誰ェ〜〜〜〜?! 私ノ頭ノ上二帽子ヲ被ラセタノ誰ナノ〜〜〜〜!?

誰ナノデスカ?ソシテ何故デスカ?カラスノ仕業デスカ?学生ノ行為デスカ?ソレハ、プレゼントデスカ?優シサデスカ?イタズラデスカ?ソレトモ、何カノ、パフォーマンスデスカ?? ドウカ私ニ、帽子ノ意味ヲ教エテクダサーイ!
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「守田

日本で、安政 5年(1858)から断続的にコレラが流行り、文久 2年(1862)頃から 3度目のコレラが全国で流行りだしました。同 3年(1863)には 江戸で大流行したそうです。
文久 2年(1862)、理学および医学を伝えるためオランダより長崎へ来日します。経緯は不明ですが(「寶丹」処方に書かれた歴史では"ある動機に依り"とあります。)ボードウィン博士の処方箋を得た九代目・守田治兵衛はこれを工夫し薬効を試した後、ボードウィン(ボードワン)からヒントを得たので「
※ 他にボードウィン博士の処方箋を元に作られた薬では『太田胃散』があります。
ボードワン博士像・顛末記
9月 25日撮影、取り外される前の「ボードワン博士像」です。

オランダ一等軍医ボードワン博士は医軍講師として 1862年から1871年まで滞日した。かつてこの地は、東叡山寛永寺の境内であり、上野の戦争で荒廃したのを機に大学附属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園づくりを提言し、ここに 1873年日本で初めての公園が誕生するに至った。上野恩寵公園 100年を記念し博士の偉大な功績を顕彰する。
実はこの胸像の人物は"アルベルト・ヨハネス・ボードワン博士"の実弟、"アルフォンス・ハーメル・ボードワンオランダ領事"だったそうです。碑文に書かれてあるように"上野恩寵公園 100年を記念し"、 ボードワン博士像は 1973年 10月に設置されました。ところが、ボードワン家の親族がオランダ大使館から依頼された彫刻家に、兄弟の写真を取り違えて写真を渡してしまっていたのでした...。
帰ってきた?ボードワン像です。

ご存じの通り、上野公園はブルーシート・テント生活者が大勢住んでいます。ボードワン像の周辺も同様です。「郷には入っては郷に従え」と言うわけでもないのでしょうが、帰ってきたボードワン像はブルーシートの中にスッポリと覆われています。ま、今週末までの間だけですが。
いまだ、主が行方知れず?の「ボードワン像」台座ですが、後方に廻ってみますと、いつの間にか一段、刻字が増えていました。

上段
東京都
台東区
上野観光連盟
オランダ大使館
1973年 10月
下段
東京都
台東区
上野観光連盟
オランダ大使館
大阪市 法性寺
2006年 10月
消えたボードワン博士 ?!
気持ちのいい秋の一日。土砂降りの昨日まではいたのだけれど、ボードワン博士もお散歩に...?いえ、いえ。詳しい話は 10月になってから。...




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